やもりの観察日記

弾いて語る侍の掃き溜め

年月

2021年12月12日追記

 

 

弾き語りを一旦辞めてから、約1年が経ちました

 

制作活動をする為の休止と言いながらその実は、私が家守やもに疲れて、飽きてしまうことを恐れていたからなのかもしれません

 

終演後に見える景色を、ほんの少しでも素晴らしいものにするために

濁り切った心を軽くするために

そう願って、がむしゃらにただ歌を歌っていたその日々は、新型ウイルスという脅威によって剥奪されました

 

日常というものを、いかに高い解像度で表現できるのか

たまに極端なコントラストを描きながら

囚われず、そのままに

 

そういう風に歌っていた私が、変わってしまった景色を同じ言葉に落とし込もうとするのは、どう考えても難しく

 

どうしようもない日のろくでもない深夜徘徊や

足りないものを探して知らない街へ歌いに行った日々

打ち上げで泥酔してあることないことぶちまけたり

あとで思い出して後悔したり

昼夜に囚われない、そんなチグハグな毎日から大半の曲は生まれていたから

何もかもが変わってしまった

 

そうしてどんどん、自分の放った言葉や歌に違和感を持ち始めました

家守やもは、間違いなく私なのにです

 

ジオラマアパートは、外交的な自分の感性を

家守やもは、内向的な自分の感情を

そうやって作ってきています

 

バンドはとても楽しいです

曲の作り方も全然違います

例えば、自分の作った物語を友達に聴かせているかのような

そして一緒にもっと脚色していくような

とてもアクティブなエネルギーなのです

そこにいるのは、ちょっとませた自分

 

それに比べて家守やもは、ずっと独り言を呟いてるような

自己完結した暗い世界の物語です

そこはとても居心地が良いのですが

絶対に、「日常」というものが必要でした

それを失ってから、何もかけなくなりました

 

今はリハビリのような期間で

ただ毎日を過ごして

部屋に差し込んだ夕日に感動できたことに感動したりしてます

 

いつかまたぬるっとかけるんだろうなと思っています

昔の私は、どこかずっと焦っていたのだと思います

とても苦しかったのはまだ覚えています

疲れたら休んで、また歩き出せるまで

 

「ハタチを過ぎたらただの人」

 

さよなら さよなら

 

 

穏やかな風のように体を撫でていく日々が、ずっと変わらないことを祈ります

 

以上 令和3年の懺悔