やもりの観察日記

弾いて語る侍の掃き溜め

台所で潰されたナメクジは床のシミになって消えた

私の実家ははっきり言って全然綺麗じゃない。田舎生まれ田舎育ちで貧乏時代をおくったという祖母が、その反動で買い物依存になるのはある意味必然だった。そんな彼女が少ない年金叩いて購入した、量が少なければ何かしらの役に立ったであろうありとあらゆるものでリビングは溢れかえっていた。それでも、綺麗好きの父親の影響もあって今はそれなりに落ち着いた。

しかし、いかんせん虫は出る。特に台所によく出るのはナメクジ。足が遅いくせに、気付いた頃にはいなくなってるもんだから、実は超速の持ち主なのかも……なんて思ったりした。ゴキちゃんと違ってナメクジは簡単に潰れる。塩かければ多分あっけなく溶ける。かけたことないけどね。割り箸ですくいあげようとした時は、気持ち悪さを通り越してなんとなく可愛く思えちゃった。

 

ある日台所の床のシミが気になって、何故かっていうとそれがなんとなくナメクジのシルエットをしていたから。おそるおそる近づいて見てみると本当にそれっぽかった。ぽつりとあるその黒い部分を見つめていた時に、ぼんやりと寂しくなった。

数日前、それとも数時間前、数分前、このナメクジは生きていたはずなのに。今はただ、フローリングという無機物と一体化している。もうそれはただの床だし、誰がどう見てもそいつはただのシミ。でもこいつは、元々床だったわけではないから、本当は天国で不本意に思っているのかも。何かが消えて、別の何かにすり替えられるなんてそんなことが簡単に起こる世界だから、だけど、これは夢で、嘘であってほしいと思った。そうじゃなきゃ、全部浮かばれない。

 

同じような憂鬱は、日々色々なところで襲ってくる。あんなことがあった、こんなことがあった、あの頃は良かった、とか。本当は昔話なんてしたくないし、それを本気で聞いてほしいわけじゃない。ただ、そんな輝いてた頃があったんだってことを誰かにわかって欲しくて、頷いて欲しくて、どうしても、床のシミになる前の私のことを知って欲しくて、つい口を滑らせてしまう。そんな日々。

 

どうしようもない、本当にしょうもない毎日だけど、時々救われることがある。毎度同じ電車に乗って、帰宅ラッシュの中央線新宿駅でなんとか腰を下ろす。すかさずイヤホンを耳につけ、好きな曲を聴いて、静かに目を閉じる。そうすればいつの間に憂鬱も乗り換えして、いなくなってくれるから。これが本当に、ありがたかった。

 

 

そんな音楽に憧れて、麻薬みたいな、そんな存在にときめいて、私もいつかはそんな風に……と思ってからもう何年経っただろうか。ようやく動き出したのは大学3年になってからで、ティーンエイジャーの歌うタバコやアルコールなんかも法律が簡単に許してくれる歳になっていた。気後れしないように、そして気の弱さを隠すため、ステージでとにかく叫んで、歌って、叫んだ。色んな人が褒めてくれた。なんだか照れくさいような、当然なような、皮肉られているような、お世辞なような、とにかくしばらくは、壊れたコンピュータみたいに感情がぐるぐるしていた。

そのうち髪を染めた。化粧も覚えた。色んなことをやり出したり、やらなかったりした。曲もしこたま書いた。するとやっぱり、褒められた。それでも何か、少しだけ足りないような。とても大事なものがない。私には私が足りなさすぎて、いつか私がいなくなってしまうんじゃないかと思った。私の中には私のふりをしたミュージシャンや本や映画は沢山あるけど、私はどこにいるんだろう。いつになったら私は私になれるのだろうか。

もしかして、私はとっくに終電を逃してしまったんだろうか。いつも全て後回しにしてしまう性格だから、上手いこと言った試しがない。どうにかして始発を待たないと。一人、駅のホーム。

 

 

それからどれくらい経っただろうか、ようやく電車が動き出して、開発工事の進む駅を眺める。何年も何年も慎重に進めているのか、全然完成予想が見えないけど……きっとゆっくりでいいんだ。

 

床のシミをごまかして、これはただのフローリングだと歌うミュージシャンにはなりたくない。私はナメクジの代弁をして、勝手にあいつの気持ちをすくい取って、都合よく歌うんだ。それでも、床のシミとして歌われるよりは、数倍マシなんじゃないかと思う。

 

これからも私はただ当たり前に生きて、歌っていく。

 

 

 

あんまりこの曲に人気がないのは、あまりにも自己主義的な歌だからと思うのです。でもだからこそ、大事にしていきたい。

以上、ストレンジドリーマー 解説

 

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