やもりの観察日記

弾いて語る侍の掃き溜め

影のない光

私はなんかすごい勘違いをしてたみたいです

自分はそんなできた人間じゃなかったです

という話です

まだうまく言語化できてないので、伝わりにくかったらすみません

長ったらしいので、私にまつわることに興味がある人だけ読んでください

 

それでは

 

しばらくずっと考えてたことがありました

私ってなんなのか?

何が本当で、何が脚色なのか

一人で歌うから本心?

みんなで演奏するからよそよそしい?

全くそんなわけないのに、個人的になんだかずっとわだかまりがありました

家守やもと、ジオラマアパートにいる「家守やも」と

 

これまで色々な人に、それぞれで全く違う曲をかいていると散々言ってきました

弾き語りの曲はバンドではやらない、一人で歌ってきた宝物だから一人で守り抜きたい

バンドの方では作曲アプローチを変えて外交的なものを

その二面性をあえて強調してきました

 

それは、一人でやってきたことに対してのプライドもあれば

「一人で作った曲」をメンバーに共有することの情けなさ?恥ずかしさ?強欲さ?

みたいなもの

一人でやってたのにやっぱりバンド組んだよね〜みたいなのもなんか嫌だし!(捻くれててすいません)

とにかく自分の心がざわつかない為に、あえて分身してやっていました

 

それでもなんだか落ち着かなかったので、名義も変えて、

「家守やも」と「やもこ」

として完全にわけてしまおうと考えました

これですっきりするかもしれないと

割り切って音楽ができるんだと

 

思ったらなんか

全く逆になってしまって

より一層ざわざわするんです

 

なんで?

 

一息ついて、

ふと思ったんです

 

そりゃそうだーと

 

今まで、「家守やも」と「ジオラマアパート」で別の曲をやってるのに

歌ってる人は「家守やも」ひとり

だから苦しいのだと

だったら二人にしてしまおうと思ったのだけど

それは全く見当違いでした

 

「家守やも」も「ジオラマアパート」も同じ一人の人間が作ってるのに

意図的に、無理矢理はんぶんこにしたせいで

二人にしてしまったから苦しいのだと気づきました

 

どんだけバンドサウンドでも、どんだけフォークソングを作っても

どっちも私だし、どっちも家守やもで

私の血がしっかりと流れてたんです!

 

こんなしがらみ取っ払って、やりたいことやってやりたいこと歌って

素直に曲を作れば、それが一番健康なのではないかと

 

こんなんで悩んでて馬鹿みたいだと思うかもしれないですが

本当に気にしいで、すいません

一回考え始めたらずっと止まらなくて

やっと結論出たもののまた気が変わるかもしれません

頭が、カチカチにガチガチに硬いので

一回これ!って決めたら守り通さないと…と思ってしまうクチで

ここまで時間かかってしまいました

 

というわけで結論

これから、音楽的に分けるとかやめます

 

家守やもで作った曲もジオラマアパートでやるし、逆も然りになります

家守やもの曲は「家守やも」固有の曲ではなくて、私が作った曲なので、きっと私が歌ってていいし

 

なにより歌いたい!!

 

バンドで作った曲も、私が一人で歌いたいと思ったら歌うし、もうそんなん関係ない!

「半分この自分」同士であーだこーだしたくない!

私が作って、私が歌えば、それが私

 

別名義を作って別人として音楽やる、なんて大人なこと、私ができるわけありませんでした!

自分のことなのに、他人のフリすんのってつらいよ

やりたい音楽を、やりたい人たちと、やりたいように

これからは半分こじゃない、丸々一人の自分で勝負していきます

 

というご報告でした

以上